人間

どうせ私なんて症候群のなおしかた

 

自己肯定感が低いと、「どうせ私なんて」という雰囲気が最低限自分の体内に、もっと派手な場合には体外に溢れ出て、自分の身の回りの人がいるスペースまで充満する。

そんなマインドの状態では、がんばれないし、何かを始めても続かないと思う。

周りとコミュニケーションをとるときにも、変に防衛的に、そしてよそよそしくなり、結局親しくならない。これによって精神衛生が悪化して、さらなる自己肯定感の低下を招く負のサイクルに突入する。

「どうせ私なんて」という雰囲気が出ている人は、非常に残念ながら人との程よい距離を距離感を保てない。遠ざけてしまったり、近づいても、近づきすぎたりする。依存状態だ。

また、最近は「頑張らなくていいんだよ」の風潮が高まり、もともとがんばれない人はますます頑張れなくなっている気がする。

根本的には、「どうせ私なんて」という無気力感には、養育環境の問題があると思う。無条件の愛を注いでもらえない。全然褒めてもらえない。何かやって上手くやった時にしか褒められない。とか。自分はこれらほとんどに当てはまる。

しかし、こういう人も、人生のどこかで「どうせ私なんて」な私のお尻を叩き、踏ん張らなければいけない時が来る。この厳しい社会に最低限でも適応して生き延びるために。

そんな時に必要なのは根性なのかもしれない。とりあえず1日でもいいから、がむしゃらにやってみる。3週間くらいなら意外と続けて出来るかもしれない。

結局、いくら生産性が大事とか言っても、人間は質より量が大事で、やりがいや熱意なんかよりも根気を必要とするタイミングが必要なはずだ。成長とはそういうものだと思う。

なぜなら、脳にはよく使う回路の接続が強化されて成長する性質があるからだ。これを神経可塑性という。つまり、質ではなく量で勝負する必要がある瞬間があるということ。「こんなに沢山この行動をしている。ならばこの接続を強化しなければ。そうすれば次回以降はもっと楽にこの行動ができるな」というのが脳の思考形態なのである。

身の回りで要領がよく生産性の権化みたいな人もいるけど、その人たちも結局どこかで生産性など度外視の鍛錬を積んだ期間があるはずだ。

結論。

ダイエットなどの小さなことでもいいから何かを成し遂げて、「どうせ自分なんて」の濃度を下げる。そこから始めてみてはどうだろう。

ちなみにこの濃度は行動する限り、下がってはまた上がってを繰り返すが徐々に下がっていく。これは私の経験からも言える。