みなさまは個性を信じていますか?
私は信じていました。というよりも固執していました。
自分は「暗いのだから」とか「でしゃばっちゃいけない」とか「自分らしくない」とか、行動するたびに考えていました。
確かに、数十年という間人生を生きてきてわけですから、自分の人格のようなものに無頓着・無理解でいることは我々人間にとって不可能なんだと思います。
でも、何かにつけて自分の個性を思い出し、そこからはみ出すのを抑制し続けるメリットはあるのでしょうか。
そう、メリットや実利の話になります。
私は、個性というものを意識したりそれに忠実であろうとするメリットは、実はあまりのないのではないかと思います。
なぜなら、個性を過度に間に受けそれに左右される状態は「原因論的」生き方だからです。
原因論というのは、目の前で起こるあらゆる事象の理由を、過去の経験やそれが蓄積されたもの(=性格)に求める生き方です。
私はまさしくこの生き方をしていました。
しかし、ふとした瞬間、このままでは生きていても楽しくないなと思うようになりました。
なぜなら原因論的生き方をしていては、未来が予測可能なもの、もっと言えば、今まで生きてきた人生の焼き増しになってしまうと感じたからです。
「どうせ自分はこういう人間なんだ」という意識が強すぎて、結果的に自分の人生の選択肢を狭めている気がしてしまったのです。
では代わりにどんな生き方をしようと思ったのかというと、「目的論的」生き方です。
目的論というのは、原因論とは対照的に、行きたい未来や場所を設定し、そこを目掛けて、行動を起こす生き方です。
目的論には原則として過去や性格というのが絡みません。
以下のように矢印の向かう方向が全く逆になります。
【原因論】
(過去・性格)<ーーーーーー○自分
【目的論】
自分○ーーーーーー>(未来・目的)
目的論的生き方をするメリットは、人生が過去の自分や性格に規定されずに、目指す方向感や目的に沿って生きることができるということです。
いわゆる「パーパス経営」を自分の人生に当てはめるような生き方になります。
自分は何を成し遂げたいのか、どんな自分でありたいのか、何を指針にして人生を、今を、生きるのか。
そして、何を残して死ぬのか。
皆さんも一度、過去を捨てて、未来を見て、日々の行動や目標を設計してみませんか。
私もまだ、完全に自分の過去や性格というものから解放されたというわけではありませんが、いい意味で、過去の自分はどんな性格だったのかは思い出せなくなってきています。
もちろん、出来事や経験自体は覚えているのですが、解釈が未来思考に変わったという実感があります。