今回の記事は、未来に希望を持てない、自分に自信がもてない、悲観的になりがちな人たちにむけた内容となります。
人は変わる事ができると私は考えています。
なぜなら、脳には神経可塑性というものが備わっており、外からのインプットや
それに対する感情の持ち方や行動の仕方により、脳の回路が少しずつ組み換えられるからです。
何度も繰り返し練習して技術が身につくのも、これによります。
人は常々成長していくものです。
生きている以上、何かしらの出来事に遭遇し、それに対処していかなければならない。
人によって歩みのはやさに差こそあれど、日々経験し学んでいきます。
これは脳の構造が物理的に変化しているからです。
例えば、皆さんは以下のような経験はありますでしょうか。
以前の私ならこのような場面では、別の行動をとっていたのに、今回は全く違う行動をとっている。
以前読んだことがある本を読んでいるのに、全く異なる感想を持つ。
これらは、我々が日々生活していく中で、自分の中に変化が起こった結果、
外からの刺激に対する我々の行動も変わった結果です。
赤ちゃん・子供に比べると変化率は小さくなってはしまいますが、
人間は変化・成長するものなので、これらは当然の変化です。
なので、今はうまく対処できないことや、全く覚えられないことについても、
何回も経験することで自分自身が変化し、うまく対処できるようになっていきます。
人間はそのようにできているのです。
なので、今がダメだからといって、将来に悲観的になりすぎず、
「今の自分はこんなもんなんだ。まだまだ成長する余地があるじゃないか」
と前向きに生きていくのが一番良いです。
人間の精神状態は「積み木」や「ブロック」に例えることができると考えています。テトリスでもいいでしょう。
例えば積み木で家を作ろうとした時に、一番下に三角ブロック(屋根)を置いても意味をなしません。
これは人間に例えるならば、生まれてきたばかりの赤ちゃんに夏目漱石の小説を渡すようなものです。
赤ちゃんがこれを、「本」または「小説」であると認識し、「本を読む」という行為をできるでしょうか。
つまり、何かを受け入れるための下地がない状態にでそれを与えても、本来の意味をなさないのです。
つぎに、この赤ちゃんが中学2年生になった時に、同じく夏目漱石の『吾輩は猫である』を渡すとどうでしょう。
「本」であると認識することは当然できますし、楽しんで読むかもしれません。
積み木の例でいうと、この中学2年生の状態は、四角ブロックが複数組み合わさり、屋根以外は完成している家に四角ブロック(屋根)を乗せるようなものです。
人は日々の経験から、自分の中にブロックを構築していっています。
人生はいろいろな経験に満ち溢れているので、今欲しかったブロックやピースが、ちょうどいいタイミングで来るときもあればそうでない時もあります。
むしろそうでない時のほうが多いでしょう。
そんな時、
「今の自分では他にも足りないブロックがあるんだ。でもいつかそのブロックが補填され、このブロックを活かせるようになる時が来るんだ。」
と信じて前を向いて歩き続けることが大切です。